プライムキング物語

プライムキングbyサラブレッドチャレンジカップ (c)Oku
 いつものように新聞を買って読んでいるとこんな見出しが飛び込んできた。

 プライムキング予後不良

「うそだろ!」と思ったのは言うまでもない。 プライムキングへの思い入れは人一倍強かっただけに残念である。 ということでプライムキング物語を簡単につくってみました。 よろしかったら読んでくだされば幸いです。
 3歳時、4歳の始め頃はそれほど注目される馬ではなかった。 基本的に金沢では8月まで4歳重賞がないので仕方がないのかもしれない。 その年なら中央に移籍した3歳王者ユキノゴールド、 東海ダービーに挑戦したトゥインクルバイオ?のほうが注目されていた。 しかし山下騎手とのコンビで3コーナーから4コーナーにかけてまくっていく戦法を覚えてからは 重賞2勝を含む5連勝と金沢の4歳には敵なしという状況になった。

 プライムキングを語る上で欠かせないのがサラブレッドチャレンジカップ(G2) での伝説的末脚だろう。 このレースには東海の雄ハカタダイオーとフジノハイメリット、 北日本オークス馬ラストヒット、新潟2冠馬スターライフ、 上山からグランドレーシングという史上最強メンバーの声もある遠征馬となった。 そして地元の期待はもちろんプライムキングだった。 北日本新聞杯、この年だけ9月に行われたサラブレッド大賞典を圧勝し、 このレースに初の金沢三冠がかかっていた。 レースは東海の2頭ハカタダイオーとフジノハイメリットの 意地の張り合いのような逃げで始まった。プライムはいつものように 後方から行き、向こう正面ではしんがりにいた。そこからじわじわとあがっていったが 3コーナーではまだ8番手。しかし、ここからがすごい。 1頭、また1頭とまるでほかの馬が止まっているかのように 豪快にまくり、4コーナーではすでに先頭に立っていた。 馬場の真ん中を通ってプライムがいっきに抜け出す。 ほかの馬はもう後方だ。後ろからスターライフが迫ってくる。 しかしスターライフの追撃も1馬身及ばず、プライムキングが史上最高のメンバーがそろったサラブレッドチャレンジカップを制した。 その後は他地区遠征を期待したが、気性が荒すぎて馬運車にも乗せられない ような状況では遠征をあきらめざるをえなかった。 96年のメンバーならスーパーダートダービーでも、ダービーグランプリでも豪快にまくりきっていたと思う。

 その後、プライムは脚部不安に悩まされ満足にレースにさえ使えないという状況になった。 それもレース中ではなく洗い場で脚をぶつけて悪化させただけに悔やまれる。 しかし時々その実力の片鱗は見せたが足元がついていかなかった。 それでもA1戦を(相手が軽かったとはいえ)2勝したのは評価できる。 そして運命の4月14日。。
 A3戦というこの馬には不釣り合いなレースで6着に入線したが、 入線後歩様がおかしい。早速医師による診断が行われたが、結果は最悪のものだった。 「左後ろ脚けいじん帯伸長」じん帯が切れていたらしい。 競走馬としてはもちろん、乗馬にするのも難しいと診断され予後不良となった。
 結局、真の実力がどれほどのものだったかはわからない。遠征をしていれば イシノサンデー(96年ダービーグランプリと中央の皐月賞を制した)もまくりきっていたかもしれないし、あるいは気の難しさを見せて惨敗していたかもしれない。 白山大賞典に無事に出られていればキョウトシチーでさえもまくり切っていたかもしれない。 あるいはあのホクトベガでさえも。。

 最後に、これは馬産地でもいえることだが、名馬の死という報道が それから1週間や2週間遅れたり、あるいは報道されないというのは非常に 困ったことだ。ツインターボのときも死亡説がながれ、 その2週間後に本当に死んだときもうそじゃないかと思われた節がある。 こういう報道に関してはもっとしっかりとした情報をファンは求めている。


プライムキング 1993年4月24日生まれ 1996年最強4歳ダート馬、史上初の金沢三冠馬
父ブラックスキー、母メジロアマント(その父リマンド)
通算成績金沢でのみ19戦10勝
主な勝ち鞍 96サラブレッドチャレンジカップ(G2)、 96北日本新聞杯、96サラブレッド大賞典
1998年4月14日左後ろ脚けいじん帯伸長により予後不良
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